「自分で考えろ」と両親や上司、先生から言われることがあるでしょう。
やまと言葉の「考える」の語源から考察していきます。
考えるの語源
まずは語源を見ていきましょう。
考えるは古語では「かんがふ(考ふ)」です。
それより前は「かむがふ」と書かれていました。
これは「か」と「むがふ」に分けられます。
「か」は場所を示す住処(すみか)の「処」や遠くを示す彼方(かなた)の「彼」です。
「むがふ」はむかふの音変化で「向かふ」や「対ふ」と書く
「処」と「向かう」つまりことと向き合うことの意で「調べて判断を下す」
「彼」と「向かう」つまり先のことと向き合うことの意で「占って判断する」
になりました。
「調べて罰を与える」という意味もありました。
最初の「調べて判断を下す」意味が転じて調べた下した判断の結果、罰を与える必要があれば与えていたのが窺えます。
『処向かふ』は「事実と向き合って」判断を下す
『彼向かふ』は「未来と向き合って」判断を下す
つまりやまと言葉から見ると考えるとは
「(分からないことは)調べたり予測して、それを元に判断する」
ことなのです。
かむがふがかんがふに音変化し、さらに変化して「考える」となったと考えられます。
やまと言葉では考えるは「行動」
ここで注目したいのは思考と行動を別として考えてなかったことです。
調べてそのあとの行動を決めることまでを「かんがふ」こととしていたことです。
日本の思想は古代中国の影響を受けていると考えられます。
荘子や老子はいい、悪いなど分けて考えません。(分けて考える事を二分法といいます。)
全部を一体で考えます。
つまり行動と思考をわけません。
だから「調べる」「占う」など思考近いことから「判断を下す」「罰を与える」という行動に近いことまでの一連の動作を「考える」としたと推察されます。
思考から行動までして初めて「考えた」ことにしていたのです。
「考える」とは「元にした情報、理由、行動」のワンセット
ここまで見た通り、思考だけではなく、行動まで示すことを「考える」としてます。
なので「考えろ」と言われたときは単に思考を指しているのではなく
(わからないことは)調べて(判断して)行動しろということなのです。
だから、
「自分で考えろ」と言われたら
- 調べたこと(情報)
- 思考の内容(理由)
- 下した判断(行動)
を伝えたらいいのです。
調べてわからなかったら
- 頼まれたことに調べて見ましたが出てきませんでした(情報)
- 課長に聞いたら情報を知ってるかもしれないので(理由)
- 相談しに来ました(行動)
と伝えればいいんです。
語源から「考える」まとめ
- 語源:何かと向き合うことを「かむがふ」といい、その音変化したのが「考える」
- 古語の「かむがふ」は思考から行動までを表してた。
- 考えることは「わからないことを調べて、決断を下す」こと。
- 人に伝えるときは理由を一緒に伝える。