幸せになりたいと考えてますが、幸せとはなんなのでしょう?
昔の日本人がどう考えていたかを知るために「幸せ」の語源を調べて見ました。
幸せの語源は?
幸せは昔「仕合わせ」や「為合わせ」と書かれてました。
しあわせの「し」は「する」の連用形、「あわせ」は動詞の「合わす」が名詞化したものです。
しあわせの意味は「つじつまを合わせること」「ことをあわせること」です。
昔は「仕合わせの良し悪し」などといった表現をし、しあわせは物事の調和具合を示しただけで、いい意味も悪い意味もありませんでした。
では、どうして今の様な意味になったのでしょう?
自分の願いと周りの世界が合うことで幸せになる
ここで、幸せだったことを思い浮かべてみてください。
- 好きな人と付き合えた、恋人になれた
- 結婚して子どもができた
- 受験や資格に合格した
- やってきた仕事が無事に終わった
とかでしょうか?
こういったこと幸せだと感じるのは願いややってきたことが周りの世界と調和した時です。
つまり「し」たことが周りの世界と「あわせ」られて「しあわせ」になることに気付いたのでしょう。
この「仕合わせ」の状態になるのが滅多にないことから、「幸せ」になったと考えられます。
幸せに「なる」ためには周りとの調和と時間が必要
この語源からして日本人の幸せは「自分の思いややってきたことが周りの世界が調和すること」です。
逆に言うと「自分一人では幸せになれない」んです。
自分だけではどうにもならないと考えてました。
好きな人と恋人になりたい、結婚したいと思っても、いくら自分が好きでも相手が気持ちに応えてくれないとなれないし、
受験で合格するにしても自分だけの力では教えてくれたや、育ててくれた両親、または周りの人の出来にも関わってきます。
また、幸せに「なる」と表現します。
なるというのは非人為的です。おのずからの自然な力です。
自分だけの力だけではどうにもならない。周りの世界もないと幸せになれない。
だから、幸せになるために周りの世界の調和を目指し、することをあわせ(仕合わせ)ようとします。
また、「なる」には時間が掛かります。だから気長に待つことも必要です。
こういう言葉を使う日本人としては
「結果は自分の力ではどうにもできない。だから、できる事だけをやって後は天に任せよう。
うまくいかないときはしていることが合ってないから少し変えてみよう」
という心持ちがうまくいくように感じられます。
事実、日本人は結果より過程を重んじる用に思います。
これは結果は天の影響も受けて自分ではどうしようもできないと考えており、自分のすることだけは変えられると考えていたからでしょう。
一方で今の風潮では「自分の力」で「すぐ」に自分を幸せに「しよう」とする人が多い様に思います。
その結果、実力がないの自分のせいと思い込み、病んでる人が多い様に思います。
自力の思想でうまくいってるならいいです。
ただ、うまくいってないのなら、考え方を少し変えて、周りの力に頼ったり、幸せになるには時間が掛かるものだとしてゆったり、生きて行くのもいいのではないでしょうか。