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やまと言葉

努力とは?「して」→「なる」世界観。日本語(やまと言葉)から考える努力

努力しよう、努力しようという言葉を最近よく目にします。

スキルを上げようとか、キャリアを形成しようもこの類いです。

ですが、努力ってどうやってしていけばいいのでしょう?

やまと言葉から考えてきます。

「なる」世界観

日本語は「つくる」、「うむ」より「なる」ことが重要視さてます。

日本の神話である古事記でも見て取れます。
古事記で初めての神もなってます。

天地(あまつち)の初発(はじめ)の時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)。

訳:天と地が初めて別れたとき、天上界の高天の原に成った神の名はアマノミナカヌシ

伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)が子どもが産むまでの神は全部成ったと書かれています。

なるというのは非人為的な行為です。

なので、ある出来事が起きた場合、日本人は
「ひとりでにそうなったことだから致し方ない」と捉えてきました。

結果、『自然に』「なった」ことだから誰の責任でもないと開き直ってしまう傾向があります。

これは起きた事を「出来事」という事からも窺えます。つまり自然に「出て来た事」と捉えていたのでしょう。

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「して」→「なる」世界観

では人がしてきたことはどう捉えられたのでしょうか?

古事記ではイザナギとイザナミが最初の整備した土地は「矛で海水をかき回して成った」と書かれています。

其の沼矛を指し下ろして、画(か)きたまいひ、引き上げたまひし時に、成れる嶋は、是オノゴロ嶋なり。


矛をさしおろして(海水を)かきまわして、引き上げたときに成った島はオノゴロ島である。

かき回「して」→島が「なる」んですよね。

日本書紀にもこんな歌があります

してなる片岡山に飯に飢てこやせる その旅人あわれ

「してなる」片岡山と書いてあります。
つまり、だれかがなにか「した」から、結果山が「なった」と考えられてます。

これは仏教の因縁の影響を受けてると考えられてます。
何かがなるには必ず原因があるという考え方ですね。

ここから読み取れるのは、主体的な行為である「する」ことがあって初めて何か「なる」ことがあり得るのです。

また、「しない」ということは必ず「ならない」という考えになります。

ただ、「なる」のは、非人為的ことで、周りの環境や運も含まれます。
だから、日本人は結果よりも過程にこだわるのだと思います。

過程は自らでどうにかできること、結果は自分だけではどうしようもないこと、ということが実体験としてわかってたのだと思います。

その結果、やることはやる、うまくいくように願う、結果は天に任せる。
という考え方が生まれたと思われます。

心持ちとしては「自分で努力して成し遂げよう」と考えるというより
「やることやって世界の反応を見よう、合わなかったら調整しよう」と考えたほうが日本人としては自然な考え方だと思います。

「して」も「成らない」→「してはならない」

「して」も「ならない」時もありますよね?

日本語の倫理的な禁止の表現に「してはならない」があります。

これは、「して」も周りの環境、世界が「ならない」ことを道理や経験的にわかってることに言う表現だと考えられてます。

人のものを盗ろうと「して」も、私が止めなくても、周りの人が止めるだろうし、盗られる側も抵抗するから「ならない」だろうし、達成したところで、ばれたら返さなきゃいけないし、さらに罰を受ける。だから、「人のものを盗ってはいけない」ということです。

ただ、ここで注意しなければいけないのは『倫理的な』禁止だけにこの表現が使われてきたことです。
日本語、特にやまと言葉には他人に自分の考えや命令を押しつける表現が見当たりません。

自分の感情を元に「この会社には就職してはいけません」だとか「お菓子を食べてはいけません」ということは言っていなかったと考えられます。

自分の意図で他人の行動を禁止「して」も「ならない」と言うことを昔の人は知っていたのでしょう。

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できないは「出てきてない」だけ

「して」→「なる」に通じる概念として「できる・できない」があります。

できるは可能を表します。漢字で書くと「出来る」です。

例えば、さかあがりを練習してた子どもが初めてさかあがりした時に「できた」といいます。

さかあがりを「して」たら「出て来た」からできた!と叫ぶのです。
「出て来る」のは「なる」に近い発想です。

一方に「できない」は「して」るけどまだ「出て来てない」だけなのです。
だから「できない」と悩むのではなく、「出て来る」まで待てばいいのです。

「して」「なる」世界の住人である日本人の心持ち

「なる」を重要視するため、なってしまったことは仕方ないと水に流し、「した」結果「成る」と考える日本人にとって、全て自分の責任とする考え方は向かない部分があります。

だから、責任を取るのではなく、

「なってしまったことは仕方ない。だから、許しを得るために出来ることをしていく。」

と考えるのがいいと思います。

また、「出来ない」のは自分の努力のせいと考えるのではなく、まだ時が満ちてないと考える。
ただ、することを「しない」と「ならない」のでやることをただやる。
そして、結果は天に任せる。「ならない」なら道理的に違った方法だったので別の方法でまた「する」。

この心持ちでいることが、人によってはうまくいくと思います。

使う言語・言葉でどうしても人の考え方は変わってきます。
ですので、日本語で育った日本人はそれに沿った考え方をしていくのがうまく行く可能性を上げると思います。

全部自力より一部自力、一部他力。

ぜひ、この考え方を取り入れて見てください。